袴田事件を契機としてえん罪を根絶するための共同意見書 ―取り調べの可視化,証拠の全面開示及びえん罪事件の検証機関の設置を求める― 

静岡県弁護士会並びに袴田事件再審弁護団及び元島田事件再審弁護団(有志)は,過去のえん罪事件の検証と反省に立って,以下のとおり共同して意見を表明する。

平成26年3月27日,静岡地方裁判所は,袴田巌さんに対する再審請求事件において再審開始を決定し,同時に袴田さんに対する死刑の執行を停止すると共に拘置を停止して袴田さんは釈放された。同地裁の決定は,極めて高く評価される。また,この袴田事件の決定によって,再度,我が国の刑事裁判の本質的問題点が浮き彫りにされた。

それは,自白偏重による自白の強要であり,公益の代表者たる検察官による証拠の隠匿である。そして,裁判所が無実の者を誤って有罪と認定し,長期間その誤りを正さなかったことである。

袴田事件においては,第2次再審において初めて検察官手持ち証拠の一部開示が実現した。開示された証拠は約600点もの多数に及び,その中には袴田さんのアリバイを示す捜査報告書,犯行時の着衣とされた5点の衣類のうちズボンのサイズを示すものとされた「B」との表示が,ズボンの色を示す表示であったという証拠など,明らかに袴田さんに対する嫌疑がえん罪であることを疑わせるに十分な証拠が発見された。

また,袴田さんは逮捕から一貫して無実を訴えていたが,長期間かつ長時間に亘る苛酷な取り調べ(自白前日までの18日間は連日平均12時間超の取調が行われ,最長では朝7時頃から深夜11時過ぎまで16時間20分にも及ぶことがあり,さらには,取調中に水も与えず用便も取調室で強いるという非人間的扱いさえなされた。)の結果,45通もの虚偽の自白調書が作成された。そして,袴田さんを死刑に処した原第1審判決においてもその内44通の自白調書の任意性が否定されている。

こうした問題について,現在,法務省法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会(以下「特別部会」という。)において,取り調べの全面可視化・証拠の開示などを含めた審議が継続中である。この特別部会は,2010年9月に無罪判決が確定した「郵便不正事件」(村木さん冤罪事件)における現職検事の証拠改ざんの発覚等を契機として設けられた検察のあり方検討会議の議論を踏まえ設置されたものである。この特別部会において検討の対象とされたものは「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の見直しや,被疑者の取調べ状況を録音・録画の方法により記録する制度の導入など,刑事の実体法及び手続法の整備の在り方」についての具体的方策であった。

しかし,特別部会が終盤にさしかかった2014年(平成26年)2月14日の同部会第23回会議で明らかにされた「作業分科会における検討結果(制度設計に関するたたき台)」(以下,「たたき台」という。)においては,取り調べの全過程について録音・録画を義務づけつつも,対象事件を裁判員裁判の身柄事件に限定し,さらに,一定の場合(被疑者が十分な供述をすることができないとき等)には,録音・録画をしないことができるとする案が示された。この対象事件を裁判員裁判の身柄事件に限定した場合には,取り調べの録音・録画の対象事件とされるものは全事件の僅か2%程度でしかなく,又,捜査官の裁量にかかる例外規定を設けることは到底,取り調べの可視化という社会全体の要請に応えるものではない。これでは,例えば,志布志事件,氷見事件,郵便不正事件も,誤認逮捕された人が虚偽自白をしたPC遠隔操作事件も,多くのえん罪事例のある痴漢事件も取り調べの録音・録画の対象にならない。上述のとおり録音・録画の対象を裁判員裁判対象の身柄事件程度に限定する,あるいは,対象事案の範囲を取調官の大幅な裁量に委ねるなどということは,取調べの可視化が求められた歴史的経緯・人権保障・適正手続に照らし到底容認できないものといわざるを得ない。

この特別部会における取り調べの可視化に関する審議は,わが国における刑事手続の中で,長年にわたって,いわゆる精密司法の名の下に供述調書偏重の裁判が行われ,多くのえん罪が生み出されてきたことを反省し,えん罪が生じた原因を検証したうえでなされるべきものである。殊に,静岡県においては,古くは,幸浦事件,二俣事件,小島村事件,死刑判決後再審無罪となった島田事件(平成元年7月31日再審無罪)及び前述の袴田事件など多くのえん罪事件が発生している。これらの事件は総てにおいて,自白を強要され,当該自白が有罪判決の有力な決め手となっている。他にも全国的に見ると,この数年間だけでも,足利事件、氷見事件,布川事件,東電OL殺人事件など再審無罪となったえん罪事件があり,その殆んどにおいて,虚偽の自白調書が作成され,裁判所はこれを有罪認定の根拠としてきた。前記島田事件においては,目撃証言や捜査段階における殺害方法についての鑑定結果などの客観的事実と異なるにも拘わらず,取り調べにおいて強要された虚偽の自白を基に死刑判決が言い渡されたのであった。しかも,驚くべきことに,被告人とされた赤堀氏以外にも事件を「自白」した者が2人いたことが当時の捜査官の証言により明らかになっている。このように,いわゆる代用監獄を利用した被疑者の取り調べの際に,弁護人の立会いが排除され,捜査官と対象者のみが密室内にいる状態での虚偽自白の強要が,えん罪の温床であることはこれまでのえん罪事件が如実に示しているところであり,取り調べの全過程の可視化がえん罪を防止するために不可欠であることは明白である。

そして,取調の全過程の可視化が必要なのは,裁判員裁判対象事件に限らない。捜査官が身体拘束を盾に被疑者を威圧したり,利益誘導を行ったりして,虚偽自白を迫ってきた事件は数多く存在する。身体拘束を受けていない者にとって,身体拘束によって自らの生活を破壊されることは,最大の恐怖である。多数の町民が任意の取り調べ下において,違法・不当な取り調べを受けたことが明らかになった,いわゆる志布志事件の例を見るまでもなく,軽微な事件や身体拘束を受けていない者の取り調べについても録音・録画を実施しなければ,制度が骨抜きになってしまう可能性が高い。取り調べの可視化の目的は,供述偏重によるえん罪を防ぐことであり,それは事件の軽重にかかわらないのであって,「たたき台」の内容ではこの目的は全く達せられない。

さらに,えん罪を防ぐためには,刑事裁判における全面的証拠開示が必要不可欠であることは,これまでのえん罪事件を検証すれば明白である。無罪に結びつく鑑定が隠されていた東電OL殺人事件,現場近くで目撃された犯人と目される人物が被告人とは別人であるという供述が隠されていた布川事件,そして,前述のように袴田さんの無実を示す多数の証拠が隠されてきた袴田事件は,えん罪の被害者を速やかに救済するために,全面的な証拠開示こそが必須であることを,疑う余地なく示している。

そこで,当会らは,えん罪の防止及び適正手続保障の観点に基づき,又,必要性が一段と高まってきたえん罪原因究明機関の設置に関して以下の3点を強く要望する。

  1. 全事件において,取り調べの全過程を速やかに可視化し,捜査側の裁量による可視化の制限を許さないこと。
  2. 全事件において,弁護人の請求があれば,検察官の手持ち証拠の全面開示をすること。
  3. 袴田事件を契機として,えん罪を根絶するために,これまでのえん罪事件を含めて,えん罪事件が発生した原因と対策を検証する第三者機関を国会に設置すること。その際の最初の検証対象は袴田事件である。

 

2014年(平成26年)4月21日
静岡県弁護士会 会長 小長谷 保
袴田事件再審弁護団 団長 西嶋 勝彦
元島田事件再審弁護団 有志代表 河村 正史

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