未来の法曹となるべき司法修習生に対し国が給与を支給する制度(給費制)は、2004(平成16)年12月に改正された裁判所法が本年11月より遂に施行されることに伴い廃止され、同月下旬より修習を開始する新第64期以降の司法修習生については、申請により国から修習資金の貸与を受けられるという制度(貸与制)が適用される。
法曹三者即ち裁判官・検察官・弁護士は、国民の権利義務に大きな影響を及ぼす高度の公益性・専門性を有する職業であることに鑑み、司法試験合格後も司法修習生として一定期間実務的教育を受けるのであるが、その期間は兼職を禁止して修習に専念させるために、司法修習生は国庫より給与の支給を受けることとされた。この制度は、現行の司法制度の発足以来、実に60年以上も実施され、専門的知識に加えて高度の公益性・倫理観を有する法曹の養成に大きく寄与して来たのである。
さて、一連の司法改革の中で、法科大学院の創設、新司法試験の実施そして法曹人口の大幅な増員など、法曹養成制度もまた大きな転換を遂げた。これらは着実かつ一定の成果を挙げる一方、制度発足時には全く予想されなかった問題点も様々に指摘されるに至っている。その中でも、法科大学院生の過大な経済的負担は、最大の問題点に位置付けられるものである。
司法改革の理念は、法学未修者にも法曹への門戸を広く開き、多様かつ優秀な人材を21世紀の市民社会を支える法曹として養成するというものであった。しかしながら、上記のような厳しい現実を前に、法科大学院進学者の大半は若年の法学部卒業生で占められるようになり、他学部卒業生や貴重な社会人経験を有する者の割合は低下の一途をたどっている。それどころか、法科大学院入試の応募者自体が急減しており、法曹界は有為の人材に敬遠されつつあるとも憂慮される次第である。
加えて、昨今の深刻な不況の影響もあり、法科大学院修了時には、学費・生活費に当てるため、平均にして300万円余り、中には数百万円から果ては1000万円を超える債務を負っている者も多く見られ、経済的理由から志半ばにして法科大学院を去る者ももはや珍しくない。貸与制の導入を盛り込んだ裁判所法の改正に際しては、衆参両院において、経済的事情により法曹への道を断念する事態を招来することのないようにとの傾聴すべき付帯決議がなされたが、今や不幸にも両院の懸念が的中しつつあると言っても過言ではない。
その上に給費制が廃止された場合、司法修習生はそれが維持されていた時と同様に修習専念義務を課され、アルバイト等一切の兼職が禁止されているがために、生活費その他修習に関する費用は、法科大学院在学中と同様、国からの貸与資金その他の借金や親族からの援助で賄うほかはなく、その経済的困窮はいよいよ深刻化することとなる。そうした窮境にある者に、高度な専門的知識の修得のために日夜修習に専念することを期待するのは酷に過ぎるものである。給費制が維持されている現在ですら、司法修習生より、法科大学院時代に負った債務の過大さから、自己破産等の措置を検討するほかはないとの悲痛な声さえ寄せられるに至っている。
このような状況は、特に経済的に恵まれた階層に属していない大多数の者に、法曹の道に進むことを躊躇ないし断念させるに十分であって、誠に寒心に堪えず、法曹の立場にあらずとも座視は到底許されないものである。
我々は、法曹という自らの職を決して神聖視・特別視するものではないが、法の解釈・運用を通じて社会の発展に貢献すべき法曹は、その社会と同様に多様・多元的階層の出身者をもって構成されてしかるべきものであり、それが健全な司法を支える基礎であることは、敢えてここで指摘するまでもない。経済力の大小によって職業選択の自由が制限されることは元来あってはならず、更に、経済的富裕層によってある職能集団の構成員の大半が占められるという事態は、職能の内容にかかわらず決して好ましいものではないが、それが万一司法の分野において生じた場合、それに属しない階層に対しても公平・公正に法の解釈・運用が行われるか否かが大いに懸念されるものである。
そもそも法曹養成とは、国民が等しく適正な法的サービスを受けられるための基盤確保の問題であり、当然のことながらその責務は国が負うものである。そうであるからこそ、法曹養成の費用は、法曹資格を取得しようとする者の自己負担にのみ帰せられてはならず、そうした功利主義的受益者負担論を超克し、正に市民社会の基盤整備費用として、国が負担するものでなければならない。
また、司法改革の過程においては、いみじくも弁護士は「社会生活上の医師」と表現されたが、当の医師の臨床研修機関に対しては、先年より国庫から相応の費用が交付され、研修医は現行の司法修習生とほぼ同水準の給与が保障されることとなったことを想起しなければならない。司法修習生と同様に研修医も兼業が禁止されていること、そして法曹に期待されている社会的使命と高度な倫理観は医師に勝るとも劣らないものであることを考えれば、近く予定されている司法修習生に対する給費制廃止という措置が、いかに不合理かつ酷薄なものであるかは余りにも明らかである。
当会は、上記の司法改革の理念に立脚し、2003年10月10日、2004年6月30日、そして2009年9月30日の三次にもわたって、司法修習生に対する給費制の堅持を求める会長声明を発している。しかしながら、これらに加えて全国の弁護士会が同様の会長声明を続々と発し、また本年5月28日の日本弁護士連合会定期総会において給費制維持の総会決議が成立したにもかかわらず、誠に遺憾ながらその廃止の期日は刻々と迫っている。
本来、給費制の継続は、法科大学院生に対する総合的な経済的支援の施策と一体的に推進されるべきものであるが、上記のとおり、給費制の存廃はもはや寸時の猶予も許されない問題であり、まずもってこれに迅速に対処しなければならない。
以上の理由により、当会は、政府、国会及び最高裁判所に対し、司法修習生に対する給費制を維持するための適切な措置を直ちに講じるよう、改めて強く求めるとともに、給費制維持のために全力を尽くすことをここに宣明するものである。
静岡県弁護士会
会長 伊東 哲夫