本日、静岡地方裁判所(國井恒志裁判長)は、袴田巖氏に対する住居侵入・強盗殺人・放火事件の判決宣告期日において、無罪を言い渡した。当会は、本日の同裁判所の判決を高く評価する。
本件は、1966年(昭和41年)6月30日深夜に、旧清水市(現静岡市清水区)のみそ製造会社専務宅で、一家4人が殺害される等した住居侵入・強盗殺人・放火事件である。同年8月に逮捕された袴田巖氏は当初から無実を訴えていたが、警察官による拷問に近い過酷な取り調べにより犯行を自白させられた。それら警察官作成の自白調書は、袴田巖氏の有罪を認定した確定判決においてでさえも、任意性が否定された。また、公判当初はパジャマが犯行着衣であるとされていたにもかかわらず、事件から1年2か月が経過した第一審公判中に、既に捜査段階で検証が実施されていたはずのみそタンク内から多量の血痕が付着した「5点の衣類」が発見され、検察官は、犯行着衣はパジャマではなく「5点の衣類」であると冒頭陳述を変更し、裁判所も、袴田巖氏が「5点の衣類」を着用して被害者らを殺傷し、途中でパジャマに着替えて放火したものと認定し、死刑判決を下した。
第一次再審請求は、1981年(昭和56年)の申立てから27年が費やされたものの再審開始は認められず、その間に無実の身でありながら死刑執行の恐怖にさらされ続けた袴田巖氏は心身の健康を害し、弁護団や姉の袴田ひで子氏との面会にも応じない状態となっていた。
2008年(平成20年)4月に袴田ひで子氏を再審請求人として申し立てられた第二次再審請求手続では、2014年(平成26年)3月27日、静岡地方裁判所(村山浩昭裁判長)が、「5点の衣類」に関するDNA鑑定やみそ漬け実験報告書等の新証拠について、無罪を言い渡すべき「明らかな証拠」であると認めた上、「5点の衣類」が捜査機関によって捏造された疑いのある証拠であることを認定して、再審開始を認めると同時に、刑と拘置の執行を停止し、袴田巖氏の即日釈放を命じた。ところが、検察官の即時抗告を受けた東京高等裁判所第8刑事部(大島隆明裁判長)は、2018年(平成30年)6月11日、再審開始決定を取り消し、再審請求を棄却する決定を下した。
そこで、弁護団が特別抗告を申し立てたところ、最高裁判所第三小法廷(林道晴裁判長)は、2020年(令和2年)12月22日、「5点の衣類」の血痕の色に関するみそ漬け実験報告書や専門家意見書の信用性を否定した原決定の判断について、その推論過程に疑問があることや専門的知見に基づかずに否定的評価をしたことについて審理不尽の違法があると判断し、原決定を取り消し、さらにこの点について審理を尽くさせるために、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻す決定をした。
そして、差戻審の東京高等裁判所第2刑事部(大善文男裁判長)は、有罪の決定的証拠とされていた「5点の衣類」の血痕の色調について、旭川医科大学法医学教室の清水・奥田鑑定書などの新証拠によれば、1年以上みそ漬けされた衣類の血痕の赤みが消失することが化学的機序として合理的に推測できるとした。その上で、同刑事部は、「5点の衣類」の血痕には赤みが残っていたことから、それらが1年以上みそ漬けされたものとの認定には合理的な疑いが生じたと判断し、新旧証拠の総合評価を行えば、「5点の衣類」が犯行着衣であり袴田巖氏のものであることには合理的な疑いが生じ、その結果、袴田巖氏を犯人だとした確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じることは明らかだと判断した。さらに、「5点の衣類」は、事件から相当期間が経過した後に袴田巖氏以外の第三者によってみそタンク内に隠匿された可能性が否定できないとも指摘し、その第三者とは、事実上、捜査機関の者である可能性が極めて高いと思われる旨も言及した。同決定に対して検察官は特別抗告を申し立てず、実に事件から57年という歳月を経て再審開始決定は確定した。
再審公判にあたり、弁護団は、検察官に対して、再審請求審の蒸し返しであり許されないとして有罪立証の放棄を求め、静岡地方裁判所に対して早期の結審と無罪判決を求めた。しかし、検察官は不当にも有罪立証を断行し、同裁判所は検察官の有罪立証を受け入れた。その結果、2023年(令和5年)10月以降、2024年(令和6年)5月の結審まで、合計15回の公判が開かれた。公判では、確定審の公判手続の更新手続、弁護団、検察官双方の争点ごとの冒頭陳述、書証や証拠物の取調べ、検察側2名・弁護側3名の合計5名の専門家の証人尋問、論告・弁論等の手続が行われ、双方の主張・立証は十分に尽くされた。
そして、本日の判決期日において、同裁判所は、袴田巖氏に対して、無罪を言い渡した。
袴田巖氏が逮捕されてから本日の無罪判決まで実に58年もの取り返しのつかない歳月が流れた。当時30歳だった袴田巖氏は現在88歳となった。2014年(平成26年)3月に釈放されるまで47年7か月もの長期に及んだ身体拘束による拘禁反応と、無実でありながら死刑執行の恐怖にさらされ続けた日々によって傷つけられた心身の状態は未だに回復されていない。また、袴田巖氏の無実を信じ続け、第二次再審請求では自ら再審請求人となり、再審公判では補佐人となって支援に尽くしてこられた姉の袴田ひで子氏は91歳に達している。今もなお死刑執行の恐怖に苦しみ続ける袴田巖氏を救済するとともに、人生を弟の支援一筋に捧げてこられた袴田ひで子氏の悲願を実現するためには、もはや一刻の猶予も許されない。
よって、当会は、検察官に対し、公益の代表者として本判決を謙虚に受け止め、上訴権を放棄し、直ちに無罪判決を確定させることを強く要請する。
また、当会は、2023年(令和5年)2月22日開催の臨時総会において「刑事再審法の速やかな改正を求める決議」を採択しているところではあるが、本日の袴田巖氏の無罪判決を受け、本件で浮き彫りになった再審法の不備を正すため、引き続き再審請求手続における証拠開示の制度化、再審開始決定に対する検察官の不服申立ての禁止、再審請求手続における手続規定の整備等の再審法の全面的な改正を含め、えん罪を防止するための制度改革の実現を目指して全力を尽くしていく所存である。
静岡県弁護士会
会長 梅田 欣一
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