- 本年10月1日,菅義偉内閣総理大臣は,日本学術会議が新会員として推薦した105名のうち6名を任命しなかった(以下「本件任命拒否」という)。本件任命拒否を受けて日本学術会議は,政府に対し,任命拒否の理由説明を求めるとともに,6名を任命するよう求める要望書を提出した。しかし,菅総理大臣は,本件任命拒否の具体的な理由の説明を拒否し,6名の任命もしないという態度に終始している。
- 日本学術会議は,1948(昭和23)年,「科学が文化国家の基礎であるとの確信に立って,科学者の創意の下に,わが国の平和的復興,人類社会の福祉に貢献し,世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」ことを目的として設立され(日本学術会議法前文),「わが国における科学者の内外に対する代表機関」(同法2条)として,科学に関する重要事項を審議し,その実現を図ること等の職務を「独立して」行い(同法3条),科学の振興,技術の発達,科学者要請等につき政府に対して勧告する権限を有している(同法5条)。そして,その会員については,日本学術会議が「優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し」(同法17条),同会議の「推薦に基づいて,内閣総理大臣が任命する」(同法7条)とされている。また内閣総理大臣において会員の辞職を承認するにあたっては「日本学術会議の同意を得」ることが必要とされ(同法25条),会員の不適切な行為により内閣総理大臣が当該会員を退職させる場合であっても,「日本学術会議の申出に基づ」くことが求められている(同法26条)。 以上のような日本学術会議が設立された目的や同会議の役割,権限,同会議の独立性,その会員の選考・任命手続等の同法の規定に鑑みれば,内閣総理大臣による会員の任命は,同会議の推薦に基づいて行われる形式的な任命行為であると解さなければならない。 このことは,日本学術会議の会員の推薦制度が導入された1983(昭和58)年の国会審議において「総理大臣の任命は形式的なもので会員の任命を左右するものではない」旨繰り返し答弁され,内閣総理大臣が,推薦された会員の任命の当否を判断しないことが確認されており,実際に推薦された会員候補者が任命されなかったことがないことにも裏付けられている。 したがって,日本学術会議によって適正に選考され,推薦された会員候補者について,内閣総理大臣が任命を拒否することは,同法の趣旨に反するものと言わざるを得ない。
- また,菅総理大臣は,本件任命拒否について,「任命する責任は総理大臣にあり,推薦された方をそのまま任命する前例を踏襲して良いか考えてきた」,「総合的,俯瞰的な活動を確保する観点から,今回の任命についても判断した」などと発言している。 しかし,「推薦された方をそのまま任命する」のは,「前例」などではなく日本学術会議法の定めによるものである。日本学術会議から推薦された委員の任命にあたり「前例を踏襲してよいか」「総合的,俯瞰的な活動を確保できるか」などという検討をすること自体,日本学術会議法によって内閣総理大臣に付与された権限の範囲を超えている。
- さらに,菅総理大臣は,本件任命拒否について,「学問の自由とは全く関係ない」と発言している。 憲法23条が定める学問の自由は,明治憲法時代に,学問の自由ないしは学説の内容が,直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて,特に規定された。 学問の自由の保障の意味は,国家権力が,学問研究,研究発表,学説内容などの学問的活動とその成果について,それを弾圧し,あるいは禁止することは許されないという点にある。特に学問研究は,ことの性質上外部からの権力・権威によって干渉されるべき問題ではなく,自由な立場での研究が要請される。時の政府の政策に適合しないからといって,戦前の天皇機関説事件の場合のように,学問研究への政府の干渉は絶対に許されてはならない。 菅総理大臣が,「優れた研究又は業績がある科学者」であると日本学術会議が判断して推薦した6名の学者の任命を,何の理由も示さずに拒否したことは,当該学者の自由な研究活動を萎縮させる恐れがある。またそれだけでなく,日本学術会議の「優れた研究又は業績がある科学者」にかかる判断及び人事にかかる判断を否定して,同組織の自律性を犯すものであるとも言える。 本件任命拒否は,学問研究への政府の不当な干渉となって憲法23条が保障する学問の自由を脅かすものであることは明らかである。菅総理大臣による「学問の自由とは全く関係ない」との発言は,極めて問題である。
- 以上のとおりであるから,当会としては,本件任命拒否について抗議するとともに,内閣総理大臣に対し,速やかに6名の推薦された候補者を会員に任命することを求めるものである。
2020年(令和2年)10月28日
静岡県弁護士会
会長 白井 正人
静岡県弁護士会
会長 白井 正人