去る2020年(令和2年)12月22日,最高裁判所第三小法廷は,袴田巖氏の第二次再審請求について,静岡地方裁判所の再審開始決定(原々決定)を取り消した東京高等裁判所の決定(原決定)を再び取り消し,本件審理を東京高等裁判所に差し戻す決定をした。
そして,本日,東京高等裁判所第2刑事部(大善文男裁判長)は,検察官の即時抗告を棄却する決定をした。これにより,再審開始を認めた2014年(平成26年)3月の静岡地方裁判所の決定が支持されたことになる。
当会は,本日の東京高等裁判所の決定を高く評価する。
本件は,1966(昭和41年)6月30日深夜に,旧清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅で,一家4人が殺害された強盗殺人・放火事件である。同年8月に逮捕された袴田巖氏は当初から無実を訴えていたが,警察官による拷問に近い過酷な取り調べにより犯行を自白させられており,それら警察官作成の自白調書は,袴田巖氏の有罪を認定した確定判決でさえも任意性を否定した。また,公判当初はパジャマが犯行着衣であるとされていたにもかかわらず,事件から1年2か月が経過した第一審公判中に,既に捜査段階で検証が実施されていたはずの味噌タンク内から多量の血痕が付着した「5点の衣類」が発見され,検察官は,犯行着衣はパジャマではなく「5点の衣類」であると冒頭陳述を変更し,裁判所も,袴田巖氏が「5点の衣類」を着用して被害者らを殺傷し,途中でパジャマに着替えて放火したものと認定し,死刑判決を下した。
第一次再審請求は,1981年(昭和56年)の申立から27年が費やされたものの再審開始は認められず,その間に無実の身でありながら死刑執行の恐怖にさらされ続けた袴田巖氏は心身の健康を害し,弁護団や姉の袴田ひで子氏との面会にも応じない状態となっていた。
そして,2008年(平成20年)4月に袴田ひで子氏を再審請求人として申し立てられた第二次再審請求手続では,2014年(平成26年)3月27日,静岡地方裁判所(村山浩昭裁判長)が,「5点の衣類」に関するDNA鑑定やみそ漬け実験報告書等の新証拠について,無罪を言い渡すべき「明らかな証拠」であると認めた上,「5点の衣類」が捜査機関によって捏造された疑いのある証拠であることを認定して,再審開始を認めると同時に,袴田巖氏の即日釈放を命じた。ところが,検察官の即時抗告を受けた東京高等裁判所第8刑事部(大島隆明裁判長)は,2018年(平成30年)6月11日,再審開始決定を取り消し,再審請求を棄却する決定を下した。
そこで,弁護団が特別抗告を申し立てたところ,最高裁判所第三小法廷(林道晴裁判長)は,2020年(令和2年)12月22日,「5点の衣類」の色に関する味噌漬け実験報告書や専門家意見書の信用性を否定した原決定の判断について,その推論過程に疑問があることや専門的知見に基づかずに否定的評価をしたことについて審理不尽の違法があると判断し,原決定を取り消し,さらにこの点について審理を尽くさせるために,本件を原審である東京高等裁判所に差し戻す決定をした。
そして,差戻審の東京高等裁判所第2刑事部は,本日の決定において,有罪の決定的証拠とされていた「5点の衣類」について,まずは,味噌の高い塩分と弱酸性が血痕の色調を黒褐色化させるとの科学的知見を明らかにした旭川医科大学法医学教室の清水・奥田鑑定書などの新証拠によれば,1年以上みそ漬けされた衣類の血痕の赤みが消失することが科学的機序として合理的に推測できるとした。その上で,同刑事部は,「5点の衣類」の血痕には赤みが残っていたことから,それらが1年以上みそ漬けされたものとの認定には合理的な疑いが生じたと判断し,新旧証拠の総合評価を行えば,「5点の衣類」が犯行着衣であり袴田巌氏のものであることには合理的な疑いが生じ,その結果,袴田巌氏を犯人だとした確定判決の有罪認定に合理的な疑いが生じることは明らかだと判断した。さらに,本日の決定は,「5点の衣類」は,事件から相当期間が経過した後に袴田巌氏以外の第三者によって味噌タンク内に隠匿された可能性が否定できないとも指摘し,その第三者とは,事実上,捜査機関の者である可能性が極めて高いと思われる旨も言及している。
本決定は,袴田巖氏の無実を再び明らかにしたものとして正当である。
しかしながら,2014年(平成26年)の再審開始決定から本日までに,間もなく9年もの期間が過ぎようとしていることは,決して容認できるものではない。
再審開始決定当時に78歳であった袴田巖氏は現在87歳の高齢であり,47年もの長期に及んだ身体拘束による拘禁反応と,無実でありながら死刑執行の恐怖にさらされ続けた日々によって傷つけられた心身の状態は未だに回復されていない。また,袴田巖氏の無実を信じ続け,第二次再審請求では自ら再審請求人にもなって支援に尽くしてこられた姉の袴田ひで子氏は90歳に達している。今もなお死刑執行の恐怖に苦しみ続ける袴田巖氏を救済するとともに,人生を弟の支援一筋に捧げてこられた袴田ひで子氏の悲願を実現するためには,もはや一刻の猶予も許されない。
よって,当会は,検察官に対し,公益の代表者として本決定を謙虚に受け止め,特別抗告を行うことなく確定させ,速やかに再審公判に移行することを強く要請する。そして,袴田巖氏に対して,一日でも早く無罪判決が下されることを強く求める。
当会は,袴田巖氏が無罪となるよう,これからも支援を続けるとともに,再審請求事件における全面的証拠開示や再審開始決定に対する検察官の不服申立の禁止をはじめとする再審法の改正を含め,えん罪を防止するための制度改革の実現を目指して全力を尽くしていく。
静岡県弁護士会
会長 伊豆田 悦義